絵板絵描きがふと思う。「あのとき、自分は何に関心を持っていたのだろうか」そんなときのためのメモ。
エンタメ・文芸・コンテンツ中心に回っています。

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| スポンサードリンク | - | | - | - |
100の9-「光」
『夜空の向こう』
 昼の作業の終わりを告げる鐘楼が、いつもより多く鳴らされた。今日は空から力が抜ける大夜の日で、作業はいつもと違って昼で終りとなる。
 駆け足で街に繰り出していく若者グループ、声高に今日の献立を相談する老年夫婦、早く身体を休めたい病気持ち――それら灰色の大群が、大通りを目一杯に占領しながら街の方へと流れて行く。まるでいつもの週末の光景だった。
 今日が特別な日だということは、誰も特別とは受け止めていないようだった。クロメは作業から開放された笑顔の多い帰り道、ひとり決意を固めていた。
 日用品店でマメを買い、同寮人が出かけた時間を見計らって目抜き通りに面した若者用集合住宅寮に戻った。同世代の一群は、どうやらすでに飛び出して行ったらしく、建物の中は平日の博物館を思わせるほどの静けさだった。
 クロメが自室で荷物を確認していると、放送局のイトマネがひょいと部屋の中を覗き込んできた。いの一番に飛び出していきそうな第一候補が、なんとまだ出発していなかったらしい。驚いて目を見開いていたクロメに対して、イトマネはいつもの調子で口火を切った。
「何やってるんだい? まだいたのかい? ボクはちょっと仕掛けを取りに戻ったんだ。いやいや、何かは訊かないでくれ、まぁ訊かれても教えないけどね。お楽しみってやつだから今は見せられないんだ。たとえ相手がキミみたいな密告なんて死んでもしないような真面目屋であってもね。パーティーの司会と神様両方に誓っちゃったものだから、教えたくて仕方ないけどこればっかりはすまないねぇ。命に関わるからねぇ。ん? ちょっとなんだい、今なにげなく背後に隠した荷物を見せてごらん。ほらほら。隠し事はしてはいけないと教会の説教で教わったろう? さあ、退きたまえよ」
 クロメが身動き一つせずに黙っていると、イトマネはじれったげに先の欠けた不細工な尻尾を動かした。生まれながらにしてそれは欠けていたらしい。そのせいでイトマネは今の性格に到ったらしかった。
「おやおや、これは大荷物だ。コンパクトに整頓されていてまとまってはいるけれど、ボクの目はごまかせないね。ピクニックを通り越して国内一周が軽々できそうな用意じゃないか。え、ひょっとして図星かい? そう取っていいのかい? そう取ることにするよ? ってことはなにかい、ひょっとして今日のチーズパーティーに出ないつもりかい? 正気かい? このフラットほどもある発掘チーズを見に行かないのかい? パーティーなのに行かないのかい? そういえば見かけたことないな。どのパーティー会場を思い返してみてもキミの姿を思い出せないな。ひょっとして生まれてから一回も行ったことないのかい? そうなのかい?」
「そうだよ」
 クロメはこんな無作法さが世に通っていいものだろうかと思ったが、口には出さなかった。これ以上つきまとわれてはたまらない。さっさと興味を失って立ち去って欲しかった。ところが、イトマネは逆に好奇心のスイッチが入ってしまったようだった。
「これはこれは、貴重な存在だよ。ぜひともみんなに知らせなきゃならないよ。今日の主役を急遽キミに変えてもらわなきゃならないよ。チーズの最初のひと齧りの栄誉は是非ともキミが受けるべきだよ! さあ来たまえ、今日こそ来たまえ、司会と神様にはボクから紹介しよう!」
 頭を駆け巡る新たな展開にすっかり興奮気味のイトマネの暴走を、クロメはすぱっと切り捨てた。
「行かない。今日はそういう日じゃない」
 断固とした呟きだった。クロメの瞳には怒りさえ浮かんでいたかもしれない。どうして、どいつもこいつも今日という日をいつもの週末みたく過ごそうとするんだろう。
「じゃあどういう日なんだい? ボクにはさっぱり。あっ! そうかそうか。シンクユアポジションで想像したらすぐわかったよ。教会の牧師が大昔に話してあまりの反応のなさに二度と取り上げなくなった、かの神話の、かの一節の話をしているのだろう? あの浪漫派たちが讃え奉る光の梯子の!」
「そうだよ!」
 反射的に歯をむき出して応えてから、しまったと思った。光の梯子の話にむきになるのは幼児か老人と相場が決まっていた。馬鹿にされること必定なので、クロメは幼年期を過ぎた頃からそうした問いには全て嘘をついてきたのだ。それなのに選りにもよってイトマネに口を滑らせてしまうなんて……。これは特別な日の副作用だろうか。
「キミは普通なら生命力あふれる人生にかき消されて記憶の奥底に押しやられてしまうこと必定の、その手のものを未だ記憶の手前にとってあるわけだ! へぇぇ」
 イトマネは真底驚いたという表情をして先の欠けた尻尾をぴんと起ててみせた。
「すると今夜、キミはそこへ行くつもりなんだね? そんなことできるのかい? いやできるんだろうね、なにせキミのような真面目屋が実際に行動するというんだからね!」
 イトマネはクロメが何も云わないことを自分の問いへの肯定と受け取ってしきりに感心しているようだった。
「いやはやキミに対する認識を改めなくちゃならんね。こんな冒険心に溢れるハチャメチャなキャラだったわけだねキミってやつは! これは発見というに等しいよ。是非とも今日の日記には書き残しておきたいところだ。ところついでに訊いてしまうが、国境展望台から見咎められずこの国の国境を越えることができるのかい? 国境展望台がなんのためにあるのか知ってるかい? 丘を越えて森を抜ければ蛇族の国だってことは初等学校で勉強しなかったのかい? 実際、釈迦に説法だとは思うが一応聞いてみたいところだね、我々すべての若者たちのためにもね」
 クロメはかすかに舌打ちした。これなら荷物など持たずにさっさと出かければよかった。秘密を守るということが到底出来ないイトマネにここまで突っ込まれては、もはや取るべき道は一つしかない。だが、それを自分から云うのはためらわれた。
「よし、ボクは決めたぞ! キミに着いていく。そうする義務がボクにはある。そしてキミは断れないはずだ。国境を抜けても丘に到達する前に捕まっては嫌だろう?」
 正直、イトマネの頭の回転の早さに舌を巻いた。確かにクロメの出発を保障するここからの選択肢は一つ。イトマネをこの国から消し去ってしまうことだ。
「大冒険だね! ボクはきっと生還してスイフトのような小説を書くよ。ああ、考えてみるとこんなにすばらしいアイディアは無いように思えてきたね!」
 たちまち利害が一致した場面だが、どうしてだろう、こうも不安が増したように感じるのは。

 光の梯子の一説は、どの神話においても大体次のような記号で成る。
,つての希望の場所と伝えられるそこは、国のどの高い窓からでも見える一つ山の頂上にある。
何年かに一度の大夜の、何度かに一度、大夜の空から光の梯子が下りてくる。
かつての鼠族はその梯子を昇り降りすることができたが、大いなる洪水と戦の果てに、蛇族に追われて今は遠くから眺めることしか出来なくなった。
 規定の歳で洗礼を受け、教会の一番高いところで一晩過ごしたその日、クロメは運命的にもそれを見た。山頂に降りそそぐその眩さに、たちまち心を奪われた。教会で始めてその話を聞いたとき、いつかそこに行こうと心を決めた。
 文字を習い始めると、クロメはすぐに光の梯子について自分なりに調べ始めた。そして、それについての国民的感心が思いのほか低いのを肌で感じることとなる。成長するにつれて、兄弟や周囲の同年代や一般という誰か、そういったものと自分が別の価値観を持っていることに気がついた。そうしたときクロメは無意味に駆け出したくなったし、穴を掘って何もかも埋めてしまいたい気分になった。けれど、自分が追い求めるものが何物にも増して圧倒的な何かを秘めているのを求めているうちに漠然と感じ始め、やがてやや意地になった。そしてそれが意地といえぬほど自然なものとなった頃、それはついこのあいだ、まるでそれを待っていたかのように図書館の古書室でその周期表とあの地図を見つけたのだった。
 
 大夜が始まったらしく、空が薄暗くなっていく。山が黒毛皮を纏ったかのように威圧的なシルエットへと変わっていく。
「しかし、凄いものだろう? 距離が距離をなさなくなる通路なんだからね。こういうものを四次元通路というのだよ。知っていたかい?」
 奇妙に震える通路を抜けた先の風景に釘付けにされていたクロメが、その低い声に怪訝そうに振り向く。その横面にフルスイングを見舞った。倒れたクロメに追い討ちをかける。悲鳴を発しながらクロメは小さく何度か弾んだ。
 イトマネは棒を振り下ろす腕に今一度力を込めむ。ぼすっ、と棒は熱を帯びた湿り気の中に音をたてて沈み込んでいく。クロメの口から血の混じった液体がどくどくと零れた。
「悪く思わないでくれよ、キミ。こうするのがボクの一家の仕事なのだから仕方ないんだよ。しなくちゃならないのさ、家庭の事情ってやつさ、まさか本当にこんなことをするはめになるとは思わなかったけどね。前任の誰かが徹底的でなかったんだろうね、地図なんかが残っているなんてさ。嗚呼それにしても、それにしてもだよ、嫌な気分だ、最悪さ。だから、そろそろ止めにするよ」
 イトマネが両手で持ち直した棒を振りかぶる。クロメの手が背負っていた荷物袋の背部に回る。棒が振り下ろされるのと、クロメが何かを取り出して地面に叩きつけるのと、ほぼ同時だった。突然、爆煙が一帯を満たした。
「さすが、用意がいい」
 煙が晴れるとすでにクロメの姿はどこにもなかった。一つ山の方向に駆け出して土を削った足跡がすぐ見つかった。
「さすが真面目屋だ。わざわざ蛇の餌になりたいらしい。ならボクは戻って入り口をふさぐことにするよ。キミが帰って来られないようにね!」
 最後の一言は近くに潜んでいるかもしれないクロメへの挑発だった。
 踵を返したとき、背後の茂みが揺れる音を聞いた。
「くくくっ」
 満面の笑顔を浮べて棒を振りかぶりながら振り向いたイトマネが見たのは、真っ赤な川のような舌と、自分の背丈ほどもある白牙と、真黒な洞窟だった。
 咥えられたのは一瞬で、金切り声をそのまま舐め取るように動いた舌が、あっというまにイトマネを腹に送り込んだ。

 夢中でクロメは山を登った。参道らしい整備された場所は本能的に避け、ほとんど崖のような急斜面を登りぬいた。
 これほど身近にある神話であるのに、そこに教会からのタブーがあったわけでもないのに、国民の関心があまりにも低いことを不信には感じていた。だから、そうした勢力の存在を考えてみなかったわけではない。だが、まさかイトマネがそうした一団の一員だったとは。今まで暮らしてきたいつもの生活が根底からひっくりかえされた感じがして少なからずショックだった。
 急斜面を登りきると落ち葉の堆積で妙にふわふわした場所に出た。前後左右を確認する。気配はない。背嚢を下ろして枯葉の上に座り込んだ。
走りながら止血水剤を塗りこんだ顔からの血は止まっていたが、自分でもわかるほど血の臭いをさせていた。このままではすぐに臭いを追われてしまうだろう。
 全身の擦り傷、切り傷に丁寧に薬を塗り、全身に消臭剤を吹き付けてから口をすすぐ。これで少しは違うはずだ。
 クロメは立ち上がった。立ち止まっている時間はなかった。がむしゃらに分け入ってきた分、思っていたより時間が経っているだろう。
 空はすっかり光を失っていた。だが小さい峰を越えるたび、一つ山の頂上が見えるようになり、その上空に光の河のようなものが見えるようになった。その明かりのおかげで木々の少ないところでは足下を確認することができた。
 梢の葉の向こう、その光はだんだん力を増していった。今ほど樹木を憎憎しく思ったことはなかった。
 山頂の開けた一角に到着したとき、上空からほとばしる真っ白な光に言葉通り圧倒された。真っ黒な空がひび割れている。そこから大粒の光の束が滝のように流れ落ちてきていた。
 クロメはへたりこんでしばらく動くことができなかった。目が釘打たれたように天光から外せなかった。その光の中を、あの凶悪な鳥族の大群が舞っているのに気づくと、さらに目が離せなくなった。悪魔とあだ名される嘴と翼の種族がこんな大量に集っているのを見たことはない。黙示録で示される総力決戦の舞台にいつの間にか自分は放り込まれているのではないか。
 それにしても――その光の奔流の中を上も下もなく自由に滑る鳥達はあまりにも美しい、とクロメは思った。かつての異端の教えのとおり、彼らが神の使いであるという考えもこれを見ては嘘だとは言いきれそうにない。
 どこからか笛の音色が響いてくる。鳥達の羽音ではなかった。あまりに上空に気を取られすぎていて気づかなかったが、見下ろせる窪地で宴が始まっていた。
 総毛立った。
 輝いているのは敷き詰められた石英のせいであろうか。その煌きの上を恐ろしいとぐろを巻くものが蠢いていた。
 蛇族だった。

 真っ暗な中で全身を焼かれるような痛みを感じていた。熱くぬめった壁のようなものにもみくちゃにされている。暑さで意識が遠のきそうになるが、その度に体内のするどく冷たい痛みに内部から刺し貫かれた。毒を注入されたのだろう。
 地獄の苦しみだった。

 窪みへの道から新たな蛇が滑り込んできた。そのまま貴族とおぼしき甲冑鱗の一群に歩み寄って何事か耳打ちをする。貴族の中でひときわ大きい一匹が鎌首をもたげて喉をすり合わせるような不気味な音を響かせた。すると耳打ちをした蛇は恭しくお辞儀し、中央の祭壇のようなところへ滑っていく。何らかの儀式が始まりそうな気配だった。それが光の梯子のためにする儀式だとするならば、かつて鼠族がやっていたことかもしれない。クロメは身を乗り出してその光景を見下ろした。

 何度か周囲の壁が大きくうねるのを感じた後、硬い板状の石の上に吐き出された。急に新鮮な空気が肺の中に入ってきたせいで、イトマネは激しく咳き込んだ。何が起こったのかさっぱりわからなかった。だが、辺りがあまりに眩しいことは、張り付いた瞼越しにも理解できた。
 頭が回転する。自分に起こった事態と今日という日と現状をつき合わせて一つの想像に到達すると、あまりの恐ろしさに尻尾から爆発してしまいそうだった。
 風を切る音が耳元で鳴った。次の瞬間体が浮いて、胴体に激痛が奔った。先ほどの比ではない。鋼作りの城門に挟まれたかのような強烈さだった。

 そのあまりの悲鳴の大きさに、蛇族はそろって鎌首を持ち上げ、鳥族は狂ったように喚いて桜吹雪のように渦を巻いて天空へと吸い込まれていった。
 クロメは、確かにイトマネらしい鼠が咥え去られたのをその目で見た。次の瞬間、クロメは飛び出していた。
 崖を下り、大きく円を描いて速度を稼ごうとしていた一羽の鳥の背中に無我夢中で飛び掛った。衝突した瞬間に羽毛を仇であるかのようにむしり掴んだ。最初に掴んだ数毛は、クロメの衝突力に耐え切れずにたちまち抜けた。宙に身が踊りそうになるのを感じながら、すぐさま別の羽にしがみついた。ここで落ちたら間違いなく命はない。
 クロメを乗せる形となったその鳥は、激しく一声鳴くと、急激に角度を変えて、一直線に上昇を開始した。他の鳥を次々に追い抜きながら、ぐんぐん夜の割れ目に迫っていく。
 あまりの眩しさに目がおかしな音を出し始める。頭が煮立つような振動を発し始める。呼吸はほとんどできなかった。
 猛烈な風の中を振り落とされないようにするのが精一杯だった。時も景色も猛スピードで後ろに飛び去っている。もう指から力が抜けそうだった。窒息しそうな光の色が、徐々に青くなっていくのをクロメは見開いたまま固定されてしまった瞳で見ていた。それはとても不思議な色合いだった。
 急に音が消えた。クロメに帯びていた上や下への力が何の前触れもなく取り払われた。ぐるぐると激しく視界が回る。あんなにそばにあった羽が風を切る冷たさがない。
 クロメは宙に独りだった。
 しばらく何を見ているのか分からなかった。
 青や白や緑や黒。
 意識が朦朧となりかけていた。
 だが、それを許さぬという風に、遠くの方から鳥族の鳴き声が響いてきた。
 その瞬間――猛烈な風に巻き込まれた。小さい身体が木の葉のように吹き飛ばされる。生命としての恐怖が蘇えった。意識が突然覚醒した。
「空だ」
 クロメの全身が内部の作用で大きく震えた。
「大地だ」
「森」
「山!」
「なんて広大なんだ!」
 そこは、まごうことなき新世界だった。

| hirosakisinji (sin) | 100のお題 | 01:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
スポンサーサイト
| スポンサードリンク | - | 01:11 | - | - |









http://hirosakisinji.jugem.cc/trackback/366