絵板絵描きがふと思う。「あのとき、自分は何に関心を持っていたのだろうか」そんなときのためのメモ。
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100の17−「駅で」
『占星』
 1848年に開業したこのテムズ南岸のターミナル駅は、イングランド南西部からやって来る全ての列車の集約地点だ。エントランスホールには天蓋があって、鉄骨が組みあがり頭上の硝子を支えている。下り坂と上り階段をいくつか上り下りするうちプラットホームを望むコンコースに出た。沈む前のどろっとした感じの夕焼けが、空っぽの銀色のレールを染めている。それは見る者によっては神々しく見える色合いだった。
 時刻提示板を見上げ、ディッシュは眉をしかめた。故郷への列車は、出発時間はおろか到着時間さえも書かれていない。出発ホームの下の欄に「信号待ち」と小さく書かれているだけだ。せっかくの勢いを挫かれた気がしたが、この駅のキャラクターを思い出して、仕方がないかとしぶしぶと肩をすくめた。
「お客は迷子になって、お乗りの列車が見つからず。列車自体も迷子になって、プラットフォームが見つからず」そんなコミックソングが作られるほど、この駅の混乱は有名だ。高低差のある十六箇所にプラットフォームが点在し、それぞれの線路が駅周辺で複雑に交差して、路線を指示する信号機が、まるで墓場の墓石のように建ち並んでいる。
 ディッシュは夕暮れの方角に、大きく膨れ上がった線路をまたいで建っている信号所を見つけた。あの中では五人の信号手と二百四十八本の路線変更レバーがいそがしく動き回っているはずだ。早く仕事をこなしてくれよと頼むようにして祈る視線を送り、その視遊でホーム先端に人影があるのを見つけた。
 ほとんどの待ち客がコンコースにある喫茶店か待合室で列車を待っているというのに――。ディッシュは興味をひきつけられる。
「よほど待ち遠しいに違いない」
 それならば自分と同じだ、とディッシュは妙に訳知り顔になってホームの先へと歩いていった。
 人影――彼女はすらりとした美人だった。トランクを椅子代わりにして信号所をぼんやりと見ている。タールで染めたような艶のある黒の洋服と、白い肌との対比が、昆虫と野菜、両方の印象をディッシュに与えた。切れるような眦と寝ぼけたような瞼は、大人と子供、そのどちらの特徴も備えている。それが原因不明に艶かしくみえた。
 ディッシュの脳みそが一気に沸騰したのは言うまでもない。火照った頭でどうにかこうにか、彼女のラディスティという名前を聞き出した。
「そろそろ日が落ちますよ、レディー。テムズ川の上空は既に星の海。残念ながら列車はまだ来ないでしょう。いつもそうなんですよ、ここは。この駅の欠陥が改善されない限り永遠にこうかもしれません」
 ラディスティがちらっと信号所に視線を戻した。ちょうど信号所内に電燈が灯る。そして、まるで池に石を投げ込んだように、線路沿いの小さな街燈が次々に灯っていった。それに呼応するように、地上は夜の装いへと衣装替え。彼方の町の陰影から、すくっと何軒かの建物が、照明に照らされて立ち上がる。
「列車の到着は夜中になるかもしれない。そうなったら今夜の出発はなしだ。ほら、太陽が沈んでいきます。美しい。あなたのようだ……。いや、あなたはヴィーナスですから金星ですね。はははっ。なにはともあれ、こんなホームの端では電燈もない。暗くなっては一大事だ。コンコースに戻って私と紅茶でもいかがです?」
 ラディスティは最初あっけに取られた表情をしていたが、そのうち苦い薬草に挑戦して予想通りの苦味にぶつかった時のような笑いを浮べた。
「せっかくだけど――」バカの相手は疲れるから。

 数分後、二人はティーテーブルを囲い、様々な握手を試みるような会話を交わしていた。
「地球の影を見るのが好きで、それで今の職業に就いたの」
電燈の下での彼女は、黄昏の中でそうであったように独特の存在感があった。自然と周囲の視線を集める。初めのうち一種誇らしげな表情を浮べていたディッシュも、しだいにその雰囲気に及び腰になり、それを隠すようにビールを頼んだ。
「地球の影って?」
 夜よ、とラディスティは呆れたように身を引いた。
「へえ、ナイトウォッチャーってわけですね!」
 その引いた分だけ、ビールで陽気になったディッシュが勢い込んでずいっと前に出る。
「占星術」
「へえ」
「旅の安全だとか、恋の行く末だとか」
「それなら、是非とも調べて欲しいことが!」
 さらに勢い込んだディッシュを、残念だけど――と先走りすぎた生徒をなだめる教師のような目で彼女に先手を打たれ、彼は一気にいじけた表情になった。軽くあしらわれたのは初めてではないが、その時、酩酊感もあってひどくバカにされた気になった。
 情けなくなる前に何か言い出そうと顔をあげると、ラディスティの視線が自分の顔に注がれているのに気が付いた。慌てて金魚のように口を閉じたディッシュがどぎまぎしながら視線を返そうとすると、彼女と視点が合わないことに気が付いた。どうやら彼女は自分の顔全体を見ているらしい、と。
 ラディスティは正にディッシュの酔い様をじっと見つめていた。彼は顔が赤面してくるのを自覚しながら、この種の瞳を見たことがあるとぼんやり考えていた。子供のころ、乳母が祝祭にやる秘儀めいた占いを食い入るように見つめる、彼の妹の瞳とそっくりだった。
 そう思うと、どこか親近感が湧いてくる――。ディッシュがそんなことを考えていた正にその時、ラディスティはディッシュの顔の酔い斑に、一つの図を読み取った。

 突然眉を寄せたラディスティに虚を突かれたディッシュは、彼女が別れの挨拶を言って、トランクを持ち上げ踵を返すのを呆然と見ていた。
「あの」
 やっとそれでけ口から出せたディッシュに野菜のような昆虫のような印象を持ち合わせる彼女は振り返り、
「列車は来るけど、今日は止めるわ。あなたも止めた方がいい。旅行きに不吉な相が出てる。星と照らし合わせても列車によくないことが起こる可能性が高いわ」
 そう言った気がした。気がした、というのはあまりにその言葉が耳もとで響いたからだ。それに、駅で言うには不穏すぎるこの言葉に誰も反応しなかったからだ。
 遠くで遅延のお詫びと車両到着の放送が聞こえた。
 ラディスティは遠ざかっていく。

【了】
| hirosakisinji (sin) | 100のお題 | 18:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
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